講師

【講師】
戸田美保(とだみほ)

国立音楽大学卒業。リトミック専攻。

講師のこと、、、、

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音楽をはじめた幼児期編

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「Y○○、○○○の音楽教室~♪」というなんとも軽やかなCMがテレビから発信されていました。「私も習いたい~」ピアノでなくオルガン教室でした。

4歳からのコース。はじめての習い事だったので、とっても緊張していましたが、お教室の10台以上のエレクトーンに目をうばわれ、心ときめいたのは忘れもしません。

とにかく弾くことも歌うことも大好きでした。

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音楽の基礎ソルフェージュ 小学校低学年編

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小学生では週2回ジュニア科専門コースへ。アンサンブル、作曲、スコアリーディングなどソルフェージュがメイン。自作の曲でアンサンブルになる体験は貴重で、ゼロから発展するオリジナルの楽しさと仕上げる大変さはこの時代に学びました。

ただ!!!!

楽しいだけではないことがありました、、、

加えて習った週1回のピアノ個人レッスンです。

先生との相性がすこぶる悪かったのです。

きちんと楽譜を読みなさい!
きちんと暗譜しなさい!
きちんと手の形をつくりなさい!
きちんと音をだしなさい!

言っていることは当たり前なのですが、

昭和式スパルタ教育です。

指をつねられ
腕をふられ
頭をたたかれ

「のだめ~」のハリセンのような女傑バージョンでした

ただなぜかやめずに、負けず嫌いの心を鍛えてしまいました。

やめなかった理由は、
「練習しなさい!」っていわれなかったこと、
事の成り行きを見守ってくれていたからではないかと推察します。

(今でも子どもの解決する力を信じることができるのはこんな体験からかもしれません)

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環境の激変 小学生高学年編

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そうこうしているうちに生まれ育った大阪から茨城に引越し。

大阪弁から茨城弁へ。それは、それは、たいへんなカルチャーショック。

ネットなんてない時代なので知らないことがいっぱいでした。

言葉が通じない、納豆がある(今は好き)、麦茶が甘い、近くに公園やスーパーがない、ほぼ戸建てで大家族、土曜昼のテレビ吉本がない(意味のない笑いって大切!)、、、、。

ここはなに???

学校生活では、公立なのに制服、指定の○○、登校班など決まりがいっぱい。転入の少ない地域だったのでコミュニティが出来上がっていてなんとも最初は居心地が悪かった。
小学生ならではの転校生いじめ?も初めての体験でした(仲間になれるかどうかの試し行動ですね)。

でも、助けてくれたのはやっぱり音楽でした。

音楽は一人でも大勢でも楽しめます。

それまで大勢でのアンサンブルが大好きだったのですが、この時ほど、一人でピアノにのめりこんでいたことはないかもしれません。

おかげで上手になってしまいました。

上手になると、学校でちらりと弾いたりするものですから、

学校生活にも自信がつき、居心地がとてもよくなり、合奏クラブや合唱団での伴奏をしながら大笑いして校内を闊歩していました。

(子どもながらに人間関係の構築をしていることに気づきます。)

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音楽の道へ? 中学時代編

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音楽に自信をつけた私は吹奏楽部へ。低音のすてきなユーフォニアムを担当しました。心にしみるいい音ですね。

頭の片隅にピアノで音楽の道がありました。

周囲からは「受験だからピアノやめたら~」の誘い。

かわしていたら、いわゆる全日本音楽コンクールのお話。

その気になって県大会に出場。惨敗。

気力、体力すべてをだしきった上で、

実力を知り、弱さを知り、練習量が全く足りていないことを知りました。

やはり音楽の道は社長令嬢がいくものだ、という価値観が備わり(置き換え?)ました。

ということで、ピアノはやめて受験まっしぐら。

受験中は、ピアノが弾けたことで、とがったような複雑な気持ちをなめらかにすることができてとても助けになりました。

この時代も受験という壁を乗り越えることができたパワーの源は音楽です。

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出会い 高校時代編

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音楽の道への志は忘れていたはずですが、たくさんの出会いがありました。

洋楽の好きな人(、、カルチャークラブなどビジュアル系の時代)

寄り添ってくれたピアノや声楽の先生(おかげで自分を大切にできた)

高校のコーラス部の仲間(全国大会出場の常連校でしたよ♪今でも仲良し)

強烈な恩師(おかげで引っ張ってもらえた)

エレクトーンアンサンブルのチーム(コンクール出場入賞)

 

音楽の出会いと楽しんだ時間が多すぎて、結局、音大に進学したくなってしまいました。

必要だった両親へのプレゼンテーション。プレゼン力はここで鍛えられています。

ということで準備に大慌て。

ピアノ、声楽、ソルフェージュ

聴力・初見力・表現力・完成させる力などなど、たくさん身につけないといけないので、茨城と東京を往復しながら、早朝から夜遅くまで音楽漬けになりました。

小さいころから着実に実力をつけてきた人とは違いとにかく劣等生でした。

校門の開く前に登校して練習して休み時間5分でも人に聞いてもらったり。基礎に取り組むことで、自分でも実感があるほどぐんぐん伸びる時期を迎えられました。

自主的に取り組むと本当に応援してくれる人が増えることを知りました。感謝!

この時代の出会い、ステップアップなど、音楽がパワーの源です。

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世界をとおして学んだ個性・価値観・多様性編

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大学では、同じ受験を乗り切ってきたと思えないくらいバックボーンの違う個性の集まりに心躍る毎日。価値観がぶつかり、個性がさらに形成されていきます。

個性・価値観・多様性

在学中に貧乏旅行を決行しました。

1か月の間、エジプト、イタリア、オーストリア、ドイツ、オランダ、イギリス、フランス、スペインを周遊。宿泊&朝食がついていた学生向けツアーです。手持ち金約7万円、と、クレジットカード(返済のためのアルバイトしました、、)。できるだけチープに過ごせるように、現地のスーパーやらマルシェ、小さな店などたくさん歩いて、探検していました。

旅行では、音楽、絵画、建造物、色彩、生活習慣など何でも興味津々でした。食材に一番興味があったかも。今でも記憶に残っているのは、何気ない日常の中の音楽や絵画などの環境。パリの地下鉄で聞いたストリートミュージシャンの演奏は、スティールパンを魔法のように操っていたショパンのワルツ7番。強烈でした。ヨーロッパやアラブの文化には、歴史、宗教の違いから生活環境や考え方に違いがあることを知ることができました。

社会に出る前に貴重な体験をしたわけです。

個性・価値観、多様性、、広がりました。

この時代も音楽をとおしてたくさんの学びがありました。

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社会に進出 音楽があったから感じることができた価値観・多様性編

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大学卒業後、

音楽にどっぷり漬かっていた私は、音楽以外の人たちと仕事をするのですが、

またまた、個性、価値観、多様性と出会いにびっくりしたり、憧れたり。

その人や仕事に興味をもつことでどんどん世界が広がっていきます。児童福祉と文化・芸術が融合した分野での仕事でしたが、たくさんの子どもたち、子どもをとりまくさまざまな分野の大人たちと出会いました。

宇宙のようにどんどん広がる世界は今も変わりません。

今でも、毎日、0歳からきっと100歳??の人々とたくさん出会います。

とくに、子どもとのご縁が多く、年間100人以上の乳幼児さんとそのご家族に出会います。

子育ての話をしたり、子どもの発達についていっしょに考えたり、より地域の生活を楽しめるような提案をしてみたり。

まだまだ100歳にはほど遠い。

音楽と笑いとともにいろいろな人に出会いながら生きていきますよーー!

音楽を楽しむ力を身につけると、たくさんの出会いが待っています。